何でもノートの効能
書くこと=書き残すこと=後に残すこと。
ネガティブなことは残したくない、
見返したくもない。
くだらないことは書き残すほどでもない。
こんな考え/思い/感情は認めたくない、残したくない。
というスタイルでノートと向き合ってきましたが、
なんだか自分の中で、
もやもやがぱんぱんになってきました。
これはやはり出すしかないのではなかろうか、
と思い、何でもノートを導入しました。
使い終わったら捨てる体の何でもノート。
100円(か300円)で4(か5)冊セットで購入@ナチュラルキッチン
(記憶が曖昧…)
ノートがお安いからか、
サイズが小さくてぺらぺらだからか、
はたまた捨てると決めているからか、
今までのノートとは比べ物にならないほど開く頻度が高いです。
今まで
無意識にノートに書くことのハードルを上げていたんだな、
と実感しました。
(あるいはお高めノートに対する貧乏性でしょうか…)
リビングにぽーんと放っているのも大きな要因です。
万年筆を意味もなく使う頻度も増えて幸せ。
体の中のものを書き出して形にするということは、
私にとってはとても怖いものでした。
自分では認めたくない考え方の癖、偏見、
人に言うとつっこみの嵐であろうもの、etc…
話すは放す、と聞いたことはありましたが、
書くことも十分デトックスになるのだなと。
今までは書く=形に残す、だったけど、
違う向き合い方もあるのかも。
日々watchしているノート特集では
「残すノート」が注目されることが多いけれど、
誰にも見せない捨てるノートが
私にとっては意外と必要だったのかもしれません。
どのような形にせよ、自分にあった効果的な形を見極めて
自分の中身がすっきり爽快であるように
セルフメンテナンスに努めて参りたいと思っています。
ネガティブなことは残したくない、
見返したくもない。
くだらないことは書き残すほどでもない。
こんな考え/思い/感情は認めたくない、残したくない。
というスタイルでノートと向き合ってきましたが、
なんだか自分の中で、
もやもやがぱんぱんになってきました。
これはやはり出すしかないのではなかろうか、
と思い、何でもノートを導入しました。
使い終わったら捨てる体の何でもノート。
100円(か300円)で4(か5)冊セットで購入@ナチュラルキッチン
(記憶が曖昧…)
ノートがお安いからか、
サイズが小さくてぺらぺらだからか、
はたまた捨てると決めているからか、
今までのノートとは比べ物にならないほど開く頻度が高いです。
今まで
無意識にノートに書くことのハードルを上げていたんだな、
と実感しました。
(あるいはお高めノートに対する貧乏性でしょうか…)
リビングにぽーんと放っているのも大きな要因です。
万年筆を意味もなく使う頻度も増えて幸せ。
体の中のものを書き出して形にするということは、
私にとってはとても怖いものでした。
自分では認めたくない考え方の癖、偏見、
人に言うとつっこみの嵐であろうもの、etc…
話すは放す、と聞いたことはありましたが、
書くことも十分デトックスになるのだなと。
今までは書く=形に残す、だったけど、
違う向き合い方もあるのかも。
日々watchしているノート特集では
「残すノート」が注目されることが多いけれど、
誰にも見せない捨てるノートが
私にとっては意外と必要だったのかもしれません。
どのような形にせよ、自分にあった効果的な形を見極めて
自分の中身がすっきり爽快であるように
セルフメンテナンスに努めて参りたいと思っています。
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