自分にアクセスする感覚
書くのが難しくてなかなか書けなかったテーマだけど
今日は挑戦してみる。
手帳やノートに書く時間や頻度が一定の量?蓄積?を越えると、
自分にアクセスする感覚がついてきた気がする。
普段仕事をしたり、人と話したり、ものを読んだりしてる時、
何かに対応している自分ではなく、
あれこれしてない自分が何を思って考えているか
にフォーカスする感覚。
ふと立ち止まる時間、とも言えるかも。
最近、年末の振り返りに時間をよくとってるからか、
来年はこういう年にしたい、
こういうことやってみたい、
がふっと降りてくる瞬間がたくさんあって、
アクセスする感覚が強まっているのを感じます。
時間の区切りっていいなぁとしみじみしている今年の年末。
今日は挑戦してみる。
手帳やノートに書く時間や頻度が一定の量?蓄積?を越えると、
自分にアクセスする感覚がついてきた気がする。
普段仕事をしたり、人と話したり、ものを読んだりしてる時、
何かに対応している自分ではなく、
あれこれしてない自分が何を思って考えているか
にフォーカスする感覚。
ふと立ち止まる時間、とも言えるかも。
最近、年末の振り返りに時間をよくとってるからか、
来年はこういう年にしたい、
こういうことやってみたい、
がふっと降りてくる瞬間がたくさんあって、
アクセスする感覚が強まっているのを感じます。
時間の区切りっていいなぁとしみじみしている今年の年末。
0コメント